蕎麦畑は元気がいい。白い花が美しい。
ケイトウの赤い花に赤とんぼ。
屋根修理其の弐。瓦をはずし、その下の木材をはずし、新しい木材を取り付ける。つまり屋根部分の一番縁の瓦がのっかる部分の板である。屋根を支える垂木と破風板の上に取り付けてある、木材を取り替える。
破風板が曲がってしまっているために、新しい木材がぴったり合うように 曲線に削る。この上に瓦と、それを固定する赤土をいれると、かなりの重さになる。そのために月日が経つと段々その重さが支えられなくなり、板がはずれて、瓦がずれてしまったのだろう。今回僕は板の上を少しでも軽くするために、発砲スチロールを、土の代わりに挟み、瓦を固定した。さらに取り付けた板と破風板とを、鉄のL字留めで補強した。
いつも思うのだが、修理することはとても大変だ。自分が製作したものでないし、設計図もない。長い年月を経て、木材にしろ、石材にしろ、変形、破損している。修理するなら、真っ直ぐに丈夫に作り直したいと強い意気込みがあっても、家全体、つまり当初の製作の時から、ずれているものだから、直しようがない。それでも工夫してひとつずつ直していくしかない。
それでもこの家と、この家を建築し、リフォームしながら、守り続けてきた元の住人の方には感謝したい。昭和40年頃、家事で全焼したこの家は、集落の人の力を合わせて、建てられた。そしてその頃中学生ぐらいだった少年が育ち、大人になりこつこつと自分で増築していったのだ。大工は本業ではないのに、器用にいろんなものを作られて、今でも集落にみんなは「あの人は器用だったんだよ」と褒め称えられている。一生懸命手作りで作ったこの家を僕も守り続けていきたい。だから寸法やズレに、独りごちながらも、ていねいに修理していきます。
いよいよあとは瓦をのせるだけ。完成は目の前です。
パンの石窯を耐火レンガで作るためには、レンガの間の目地の間に陶器の破片などを入れて、ぎゅうぎゅうにする必要がある。割れて売り物にならない陶器や植木鉢などを分けてもらうために、県内の陶芸家の家におじゃまさせてもらった。
その陶芸家さんはとても素敵な方だった。「捨てるものばかりだから、全部持って行ってくれたら僕も助かる」と後押しを何度もしてくれなければ、こんなに立派なものをタダでもらうのは申し訳ないと思うくらい、味のある作品を大量に受け取ることになった。
陶磁器の大好きな僕らは陶磁器を客間に並べて、うっとり。
石窯の目地に使う割れた破片と、古くなって取り替えた耐火レンガがもらえたら、有り難いなあと思って出向いたのに、美しいいろいろな作品をいただくことになった。
その他にも素焼きのものや、作品を焼くときに灰がかからないように使う容器や、耐火モルタルや、超軽量の大きい耐火レンガなど、軽トラいっぱいにいただいた。本当にありがとうございます。
このような方が応援してくださると、早くパンを自分の窯で焼いて、お返ししたいと、意欲がわいてくる。
思えば僕はずっとこんな人生です。出会う人みんなが、助けてくれるのです。海外や日本を旅していた頃から、感謝で目頭が熱くなることばかりでしたが、徳島に移り住んでからも、僕が出会った人は皆そうです。
屋根修理で赤土が必要になった時も、屋根の土やさんに行ったら、藁を混ぜてすでに練ってある赤土をバケツ20杯分ぐらい、ただで分けてもらったし、瓦やさんは、お盆休みにもかかわらず、僕らのために一人出社してくれて、さらにサービスで5枚ぐらい余分に分けてくれたり、瓦専用セメントをプレゼントしていただいた。それから石窯製作の耐火レンガ購入の相談のために、訪れたレンガやさんは、そこで購入するつもりはないのをわかっていながらも、耐火レンガについてや、道具についてや、作り方についてなど、いろんなことを教えていただいた。本当に出会ったすべての人が僕らを助けてくれます。
建てられてから30年ほどになる家は、至る所に修理を必要としている。雨樋もその一つだ。雨樋を支える金具が緩くなり、雨樋が変形してしまっていた。そのため、雨が降ると滝のようにこぼれ落ちてしまっていた。その滝は相当なもので、勝手口をびしょびしょに濡らしたり、雨が大嫌いなリックが怯えて、自由に軒下を歩けなかったりと、不具合だらけだった。
一年間空き家になっていたために、落ち葉や土がこんもりたまって、雨樋を壊すことに拍車をかけていたのだろう。それから雨樋というものはだいたい1メートルにつき、1センチの傾斜をつけなければ、うまく流れていかない。この家の雨樋はその傾斜が不十分だったために、流れにくかったようだ。だから僕は雨樋を取り替えるだけでなく、固定する金具もすべてはずして、傾斜を作り直した。おかげで雨降りの日が、前よりも一段と待ち遠しくなっている。