今日はオフ日。オフと言っても、山を下りて街へ買い物に行かなくてはならない。引っ越しからようやく一ヶ月が過ぎようとしているが、食料品や日用品以外に、まだまだ買うべきものがたくさんあるのだ。節約して、少しでもパン屋カフェ計画に回したい僕らは、吉野川沿いにある リサイクルショップとホームセンターと家電量販店を回るのが買い物だ。
今日は籐で編んだ籠や棚が安く売っていて、舞い上がってたくさん購入してしまった。竹や籐や、トウモロコシの葉などで美しく編んだものに僕はとても弱い。もちろん飾っておくために買うのではなくて、生活の中でちゃんと使うために買うのである。
木工品や陶器や植物を編んだものなど、つまり天然のものは、とても愛着が感じられる。
頑張れば、機械や化学なしに、自分の手で作れるものというのは、ぬくもりが感じられる。一緒に日々を営んでいくのにも、安心感があるんだ。毎日椎茸や蒔いた野菜の種の芽を確認するかのような、喜びがあると思う。そういうもので築かれている生活の場というのは、自然の中に生きているということを強く感じさせてもくれる。
プラスティックが悪いわけじゃない。僕だってプラスティックの方が利便性があるものはそちらを選択している。けれどプラスティック製品というのは、どこか無表情であるのだ。当然土には帰らないし、燃やすこともできない。
僕は今自分が所有し、生活に利用しているプラスティック製品を捨ててまで、天然素材の製品を買おうというつもりはない。そんなのにくだらないエコだ。天然素材や自然食品がエコに素晴らしいという商業的戦略に煽られている消費者が大変多いのではと僕は思う。健康志向やエコやスローライフというキーワードがもはや、消費社会日本の新たなる儲け話になり、それに向かって我々消費者は新しい大衆文化を築いている。まだ使えるのに、化学製品を捨ててまで、天然素材製品や省エネ家電に切り替えることが果たしてエコなのか僕にはわからない。
もちろん僕だって燃やせないゴミを出しながら生きている。エコなんか関係なく自分がほしいものも買う。だからこそ、声高に「エコ」や「環境問題」に関して一大事のように主張なんかするのは烏滸がましく思う。僕はただ美味しいもの、好きなものを買うだけの人間だ。けれど、買ったら大事に使い、飽きや切り替えとして、買い換えるのはかなり差し控えている。衣料品の中には、中学生の頃からあるものを未だに着用しているものもある。そして使えるものの多くは中古品が多い。
今日手に入れた籠たちも、本当に可愛くて、死ぬまで大事に付き合っていきたいと考えている。そんなに何に使うんだと言われたら、今すぐには使わないのだけど、いつかの日のパン屋を開業した時のためのパン籠なのだ。この籠達をうまく活用してやるためにも、毎日美味しいパンをのせてやるためにも、パン屋の夢に向かって一歩一歩進んでいくとしよう。