今日は一日中、しとしと春雨。晴耕雨読あるいは、晴耕雨奏をしたいのだが、まだまだ掃除や荷物の整理や、家の修理や、ちょっとした大工仕事がたくさん残っている。気持ちのいい晴れの日は野良仕事にまわしたいため、今日も朝から鉈と鋸で竹を細工する。その仕事がまた楽しい。また竹細工に関わらず、我が家を使いやすく、かわいらしく手作りでデザインして創っていくのは楽しい。好きな音楽を家いっぱいに流して。
竹を割るといい香りが漂う。畑で使う竹ひごを60本、風呂場の道具置き、菜箸4膳、石けん置き、鉛筆立てや箸立てなどを創った。切るだけ、割いて削るだけの簡単なものだけど、自分でつくるのは、この上なく楽しい。楽しいものはずっと大事に残ってゆく。
材木を切り、新しい棚をつけたり、壊れている箇所を直したりと、そんな感じで毎日がすぎてゆく。
我が家はお日様がよく当たるとてもいい場所。今日隣のきっこさんが遊びにきてくれて(またしても、美味しい野菜やいろんな差し入れをいただいた)、我が家の古くからある屋号を教えてもらった。我が家の屋号は「中屋」。今では僕の集落は五世帯であるが、昔は集落のど真ん中であったらしい。部落のおへそだ。だから中屋。
旧美郷村には大きな鉱山があり、昔は山村ながら映画館まであるほどに賑やかで活気があったそうだ。
「古来、美郷村を含む麻植郡山一帯は「種野山」と総称されていたが、天昇13年(1585)蜂須賀氏が入国し、領国支配の一環として、「御国村山定め」を行ったとき、木屋平、川井、三ツ木、中村、別枝、桁山、東山、種野山、宗田山、川田山の10ヶ村に分割して村定めが行われた。これは麻植十山」と呼ばれ、美郷村の原型となりました。その後、藩政時代に6村となり、明治22年町村制実施に伴い、中枝村、三山村、東山村の3つに統合され、昭和30年、3村を分割統合して、美郷村が誕生した。」と美郷村開村記念誌「郷の記憶」に書かれている。
そして2005年より、統合合併して、今の吉野川市となった。
僕は美しい郷という響きが好きだ。そして豊かな山、吉野川に流れゆく川田川などの清流と、そこに集まる源氏ホタル。山の中の集落で土地を愛し、工夫を重ねて暮らし続けてきた、先輩たちや、彼らの生活をとても尊敬しています。彼らと楽しくおしゃべりさせてもらうだけで、たくさんの事を学んでいる毎日です。ありがとうございます。


