山里の畑というものは、大体が段々畑なのだ。平野の田畑のようにはいかない。工夫と大変は苦労をかけて、畑をつくり、管理してきた。石垣を作り、少ないスペースを平地に変えたり、あるいは傾斜のある坂のまま、畑にして、流れてゆく畑の土を毎度毎度ひっぱりあげてきた。
我が家の畑は同じ集落の畑と比べたら、比較的平地をうまく利用している。坂になっている畑よりも、水平を保っている畑が多い。大変有り難い限りである。そんな恵まれた畑ばかりなのだが、一面だけ緩い傾斜がある畑が大体二畝ぐらいある。実際は坂は許せる。問題は傾斜ではなく、畑の中身。実はその坂の畑の一番低い部分を20㎝掘ると、岩の層になっているという深刻な問題を抱えている。実際は低い場所だけでない。その畑一面すべてが同じ一枚岩の層になっているのであり、坂の低い部分がその岩の層に近いので、目立つということなのだ。
とにかく低い部分の岩を砕き掘り起こし、そして傾斜をなくして、どの部分もある程度深い土をその一枚岩の上に積み上げて一定になるような畑にしなくてはいけない。そして坂だった畑を水平にするということは段々畑にすることを意味する。たかが二畝程度なのに本当にしんどい作業。それ相当の重機を使えば楽なことのなのだろうが、僕らは昔ながらの古い耕耘機と備中鍬と唐鍬と鶴嘴で身体を使ってひたすら働く。
今日で三日目。三日目にしても、耕耘機をかける度に、大きな石がいつまでも出てくる。そしてその一枚岩の岩盤にぶち当たると、自分の体重以上の岩を砕き、掘り起こす場合もある。とにかくとても大変な作業だ。そしてとても大事な作業。この仕事を疎かにすると、水はけの問題、根を張る深さの問題により、作物が上手く育たないだろうことは目に見えている。僕は掌に肉刺をしながらも、耕耘機をかけ、鶴嘴で岩を砕き、そして岩を掘り起こす。真理子は腕を筋肉痛にしながらも、石や岩を拾い、そして土や粘土を鍬で引っ張って移動させて、水平を作ってゆく。
最後に砕き掘り起こした岩は僕の体重よりも重いだろうほどの岩。上手く割れて切り取れたので、とても気分がよかった。岩と言ってもかちこちの岩でなくて、薄く割れやすい岩なので。細かく割れてしまうのも、作業を行う上で厄介なのだ。もちろん硬くて分厚くて割れない場所も、もっと厄介なのであるのだが。とにかく割れたのだ。そして大物だった。
それにしても、畑から、大変な苦労をかけて作っていくので、自分の畑にとても強い愛着が持てる。今は土の善し悪しも気にしてられない、畑そのものの下準備なのだ。しかし一生懸命働いた分だけ、畑もよくなる。この大きな岩を掘り起こした畑で作る蕎麦は特別美味しいのではと、信じています。